タイ国アユタヤ海外情報のホームページへようこそ。筆者のアユタやっさんです。タイの生活・仕事・旅行・子育てなど現地住みならではの情報をお届けします。在タイ10年の筆者は仕事で初めてタイに来ました、最初は牢獄生活のブラック企業。国際結婚をしてハーフの娘を授かります。現在はホワイト企業で幸せな日々を暮らしてます。タイに少しでも興味のある方々の力になれれば幸いです。
山田長政リゴール王

山田長政~アユタヤで活躍した日本人~どんな人なのか

山田長政リゴール王

タイのアユタヤ県はアユタヤ遺跡もある世界遺産で観光地としても有名です。

過去はアユタヤ王朝という時代もあり非常に栄えてました。

そんなこともあって隣国が攻めにはいることも幾度も続き戦争の時代があります。

平和の都という名前がアユタヤにはあるようですが、アユタヤ遺跡をみると戦争時代の様子がうかがえます。

そんな戦争の時代に、傭兵として大活躍した日本人たちがいました。

最終的にはタイの南部の土地でお亡くなりになります。

山田長政(1590年~1630年)

タイの歴史を簡単にみましょう

  1. 古代から中世(BC3-1238)
  2. スコータイ王朝(1238-1448)
  3. アユタヤ王朝(1351-1767)
  4. トンブリー王朝(1768-1782)
  5. チャクリー王朝(1782-現在)

王朝としては、アユタヤ王朝が一番長い。

そのころの日本の時代は?

  1. 室町時代(1336-1573)
  2. 安土桃山時代(1573-1603)
  3. 江戸時代(1603-1868)

戦国時代っていつ?

1467年応仁の乱 戦争の時代の幕開け~1615年大阪夏の陣

豊臣家滅亡、徳川幕府によって約300年の平和が続く。

有名人

  1. 織田信長
  2. 豊臣秀吉
  3. 徳川家康
  4. 伊達政宗
  5. 武田信玄
  6. 上杉謙信
  7. 真田幸村

山田長政さんは、40年の人生。

ほぼ戦国時代の終わりごろの人生だったんですね。

なんでこんな時代にタイに行ったのか?

山田長政さんは、駿河国(静岡県)出身で駕籠かきという駕籠に人を乗せて運ぶ仕事をしてました。

武士にあこがれていたものの、戦国時代が終わりをむかえるときでした。

そのため、武士をあきらめ商人として海外にあこがれるようになります。

1612年朱印船貿易、アユタヤへ行く

長崎から台湾をわたり、タイに行きます。

アユタヤはすでに国際都市になっており、貿易によって繁栄してました。

人口15万人、約40か国の人が住んでました。

繁栄と戦争のアユタヤ

1621年にスペイン・ポルトガルがマカオ争奪をめぐってオランダと戦います。

このときにスペイン艦隊が便乗してメナム河まで侵入しますが、長政さんひきいる水上軍と日本人部隊が奇襲をかけて大勝利します。

アユタヤ王朝に信頼を得る長政さん

これにより隊長になった長政さん。

アユタヤ王朝のソンタム王の信頼を得て、

「オークヤー・セーナービムック」

という大臣のような地位をもらい王女と結婚します。

ソンタム国王が亡くなり、後継者争いに巻き込まれる

後継者争いに巻き込まれた長政さん。

王子派と王弟派による紛争、長政さんは日本人部隊およびタイ兵2万を率いて反乱を鎮圧。

南のリゴール(ナコーンシータマラート)の王となります。

実際は、戦争の激しい地域へ派遣されたとしてます。

隣国パタニと侵入軍と戦い負傷。

シャム(タイの昔の呼び名)人がその傷に塗った毒薬で殺されたといわれてます。

子供のオコン・セナピモクが自立して戦いましたが、カンボジアへ敗走し、日本人村は焼き払われます。

日本人村

プラサート・トーング王は、日本人村を焼き払ったものの、戻ってくる日本人を寛大な態度で迎え、日本人村は復活します。

しかし、江戸幕府が鎖国をしたことによって衰退するのでした。

現在は観光地としてその姿が復元されてます。

まとめ

歴史の人物として、あまり知名度はない山田長政さん。

じつは、タイでもあまりよく知られてません。

このように歴史をみると、タイのために戦ったものの権力をつけてしまい最後には殺されてしまったのです。

しかし、もともと侍にあこがれていた長政さんです。

人生を謳歌できたのではないでしょうか?

最終的にはリゴール王という地位もえました、40歳の人生ですが当時は人生50年といわれた時代です。

今現在も、アユタヤにはたくさんの日系企業があり日本人が約7万人タイにいます。

昔も今も、タイは日本人にとって住みやすい国ではありますが

「郷にいては郷に従え」

自分たちの国でやりたい放題をされたら誰でも腹立ちます。

夜のお店で自分の国の女性たちが他国の男性をチヤホヤしてれば気分は良くないでしょう。

この歴史を肝に銘じて、日本とタイの友好の架け橋となるよう今後もがんばります。

長文をお読みいただきありがとうございました。