2021年2月14日はバレンタインデーでした。日曜日でしたので会社や学校ではなく休日での過ごし方になりました。このため周りの知人には内緒での行動もしやすく何かと普段とは違うバレンタインデーになったことかと思われます。ここではそもそもバレンタインデーとはどう始まったのかをみていきます。
バレンタインデーとは
バレンタインデー、または聖バレンタインデー・セイントバレンタインデーは、キリスト教のお祝いで主に欧米で、毎年2月14日に行われるカップルが愛を祝う日とされています。
古代では多神教の祭日。元々269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した「聖ウァレンティヌスに由来する記念日」だと、主に西方教会の広がる地域においてかつて伝えられていました。
この日、キリスト教では一般に家族や恋人など大切な人に贈り物をすることが習わしとなっています。
非キリスト教圏である日本においては、伝統的に「女性が男性にチョコレートを贈る日」とされてきてますが、これについて国内で批判や不満が多く、近年は大きく変化しています。
日本や韓国では、バレンタインデーに派生して「ホワイトデー」が存在。
バレンタインデーの由来
ローマ帝国発祥説
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされてます。
簡単に知りたい人はこちら。
詳しくはこれです。
当時、ローマでは、2月14日は女神ユーノーの祝日でした。ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカーリア祭の始まる日。当時の若い男たちと女たちは生活が別でした。祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていました。翌日、男たちは桶から札を1枚ひきます。ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚しました。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令します。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされてます。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたといいます。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論です。
日本のバレンタインデーは何故世界と違うのか
日本社会に定着したのは、1970年代後半。毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われています。
「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」
という
「日本型バレンタインデー」
の様式が成立したのもこのころ。
文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。
菓子店の企画と広告、キャッチコピー、宣伝方法、百貨店とのタッグなどによる商戦の成功であったといわれています。
なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされています。原はその時「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーをつけたといわれてます。
口コミで広がり、マスコミも報道。また原は著書の中で「1958年、当時学生だった私に、パリ在住の商社マンの先輩から寒中ハガキが届いた。そのハガキには「こちら(パリ)にはチョコレートや花、カードなどを贈り合う”バレンタイン”という習慣があります」と書かれていた。早とちりなところのある私は、その文章の「チョコレート」の部分だけに目がいってしまい、うっかり「ヨーロッパは女性が好きな男性にチョコレートを贈る」といった意味に取り違えてしまったのである。」と記しています。
原邦生が行ったとされるイベントは昭和33年(1958年)であるのに対し、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年(1936年)2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー(The Japan Advertiser)』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力です。
そして日本チョコレート・ココア協会によると、1992年(平成4年)に聖バレンタイン殉教の地イタリアのテルニ市から神戸市に愛の像が送られており、その理由は、「神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と、分かったから」との事である。
現代日本社会におけるバレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、民俗学、社会学、宗教学、歴史学(文化史、商業史)の各分野から研究されるべき事項であるが、バレンタインデーに関するまとまった研究は存在しない。
まとめ
日本のバレンタインデーの習慣は世界と異なるのです。一応タイでは男性から女性にバラの花を贈るのが模範的ですが基本はどんな形式でも愛情があれば良しとされています。
さらにこのバレンタインデーの2月14日に入籍するのが流行っているようですが、2021年は新型コロナウイルスの影響により役場は対応は、密になるため中止にしております。昨年は役場の人までもピンクのTシャツで対応するなど大変な人気ぶりだっとそうです。
このような歴史を知ると、自由に恋愛ができて結婚ができる現代というのは本当に幸せな時代になったのですねと思います。戦争でもう二度と会えないと思うと本当に家族を大切にしないといけないですね。
それではサワディーカポン。